2022年9月1日木曜日

都市は人間の知恵と叡智とエゴの結晶

 だから惹かれるのかもね。

逆ホームシックに襲われてます

タスケテ…タスケテ…。6泊7日という私史上最も長い旅行が終わり、自宅の警備と飲食店での労働に励んでいたわけですが…東京戻りたい(涙)。
丸の内のビル群














つくづく自分(の脳みそ)はより多くの情報を流し込まれる方が性にあってるのかな、という点はまず感じられました。都会の情報量の多さは人によっては辟易するものなのでしょうが、私には心地よかった。人間がたくさんいて、広告がたくさんあって、人間が活動しているのだという実感がひしひし感じられました。この田舎、人間少ないし広告も…電車の中吊り広告スカスカだったり広告あってもJR関係の、つまり出稿ないのを自社で埋めてるような惨状には心が痛みすらしましたね。人間の営みは人口が多いほど感じられる、当たり前なのかもしれませんが再認識できましたね。

松屋!富士そば!日高屋!

弘前未出店リストじゃないですよ。福島未出店リストでもない。そもそも松屋ならできただろいい加減にしろ。今回行った、地元福島じゃ行けないチェーンです。あとマイカリー食堂とか焼肉ライクも。どこも美味しかったし安かった。都会は田舎より生活コストかかるってのは、人が増えるごとの話であって、単身ならむしろ田舎のがコストかかるんじゃないかな。
マイカリー食堂も安いね














・・・こういう1人向け飲食店の不足、地元で割と痛い目を見る機会が多いのは確か。なか卯すら潰れましてね福島。21時で閉まるマクドナルドと20時で閉まるポッポ(イトーヨーカドーのフードコート)、あとは数軒のラーメン屋くらいしかそういう店がない。牛丼屋はマジでライフライン。好き勝手1人で飯を食えるか否か、これってかなり大きいって感じました。それもまた都会に惹かれる理由。

知恵と叡智とエゴ

これが都市に対する私の仮説、そして惹かれる理由。知恵と叡智、ってのはなんとなく理解いただけるかと思います。人間はその生活空間を、文明の進歩と共に発展させてきました。これが知恵と叡智。エゴってのはその結果として自然環境を改変する行為に対して。でも私はそれを含めて都市を愛してる。人間って多分唯一自らの生活環境を自然に合わせない生物なんですよね。むしろ自然すら取り込んで自らが構築したものの一部にしてしまう。
親水公園。都市は自然環境すら取り込んで一部にする














都会って言われてるところってそうした自然すら包摂?管理?支配?しているしそれは都会度とかって言われる度合いに比例してるんじゃないかなっていうのも感じた。上の写真、公園だって都市施設の一つなんですよ今日の都市計画では。そう考えると中々傲慢な話ですよね。そもそも「自然」じゃなくね?でも私の中の人間全能説と合わさるとそれ含めて称賛すべき点になるんですよね。なんか言ってて自分でもよくわかんなくなってきたけど、今度改めて言語化する試みはしてみたい。一番肝心なとこなのに変な終わり方でごめんね?

P.S.遅筆ヲタク

こちらの記事、いつもとそんなに変わらない文量内容かと思いますが、なんと執筆にかけた時間は帰宅からのほぼ2週間(!?)なんでこんなに時間かかってるんですかね…。言うまでもないですけどコミケ2日間の記事は当日中に書き上げてるんですよ?気力の持続時間が恐ろしく落ちてる…。生えてるネタは結構な本数あるので次の記事は早めに上げたい(希望的観測)。

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